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友好都市ゆかりの地

京都府綾部市                            

 1920(大正9)年に一家で綾部に移住し、「植芝塾」を開設。1922(大正11)年ごろから自らの武術を「合気武術」と呼称しました。その後、武農一如の生活を実践し、気・心・体の一致による「合気道」を創り上げました。綾部市内では合気道創始者植芝盛平翁顕彰会が結成され、2002(平成14)年11月、JR綾部駅南側広場に盛平翁の功績を讃える顕彰碑を建立しています。

茨城県笠間市

 1942(昭和17)年に盛平翁が東京から移り住み修練道場を開設。日本で唯一の合気神社も建立し、合気道の一大拠点としました。その後、26年間この地に住み、盛平翁自身の理想である武農一如を完成しようと心掛けました。修練道場は(公財)合気会 茨城支部道場として受け継がれ、外国人の門弟も数多く受け入れています。旧岩間町は、1969(昭和44)年に盛平翁に名誉町民の称号を贈りました。

北海道紋別郡遠軽町

 盛平翁は、8年間(明治45年~大正8年)の白滝村在村中、村議会議員として地域の発展に尽くしました。同町の白滝柔剣道場の床の間には、盛平翁直筆の掛け軸が掛けられているほか、白滝郷土館には、開拓当時、盛平翁が好んで携帯していた鉄扇が展示されています。